君を泣かせた奴はいつか必ず

永遠に穏やかに生きたい


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きっと魂は等しい

※ただの日記です

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去年、祖父が亡くなったのですが、追いかけるように先日祖母も亡くなりました。

www.notshort.work

またもや暗い話をするつもりはなくて、ばあちゃんとの思い出も振り返っておくか〜というモチベーションで書いてます。

 

祖母について

祖母はわたしが小さい頃からたいそうわたしに甘く、わたしはそれが少し苦手でした。

お正月に会えばお年玉をくれるだけでなく、毎回みかんの皮を剥いてくれるんだけど、白い筋が全くない綺麗な状態で何個も何個もわたしの前に並べてくれていた思い出。

断ってもひたすらむいてくれるので食べるとまた剥いてくれる無限ループがありがたくも苦しかった。

いつもニコニコしていて人に気を遣い、自分のことは二の次だったので「なにかしてあげたい」って気持ちがこういう行動でも表れてたのだと思います。

 

子供に返る

祖母は10年くらい前から認知症の兆しが見え始め、毎年お正月に会うたびに進行しているのがわかりました。

最初は息子である父に「私には息子が3人いて」と話し、父が「その1人は僕のことだよ」と言うと「そうだった?」と答えていたけれど、そのうち父の顔を見て「どちらさん?」と言うようになった。

家族のことがわからなくなった頃から旧姓を名乗り、子供の頃に流行ったであろう歌をうたって無邪気に笑ったりしているのを見て「人って歳をとると子供の頃に返るんだ」と衝撃だったのを覚えています。

なぜか「みっちゃんみちみちウンコこいて」をひたすらわたしに歌って教えてくれていたけれど、祖母にとってその時にはわたしは孫ではなくただの子供だったのだと思う。

 

認知症の穏やかな人

祖母の凄いところは認知症がかなり進行しても終始穏やかだったことです。

家を訪ねて息子である父のことがわからないので、もちろん孫であるわたしのこともわからないのですが、わたしや父の顔を見て「こんにちは。どちらさん?ゆっくりしてね」とニコニコしていました。

これって結構すごくない?って思ったんですよね。

だって祖母からしたら家に知らない人が突然やってきて馴れ馴れしく接してきてるわけじゃないですか。

わたしだったら知らない人が家にいたら怖いよ。

嫌がったり怒ったりせず、顔を覗き込んでニコニコニコニコしてふと「どちらさんだったっけ」と言うので名前を教えると「ふーん(よくわかってない)。ゆっくりしてね」って。

認知症になる前の祖母の性格が認知症になった後も大きく作用しているような気がします。

 

周りのことを誰もわからなくなっても、暴言や暴力、被害妄想が全くなくただ毎日ニコニコしていてほんとに生きてる仏なんだなと思った。

施設に入ってからもお喋りはそんなに多くないけど笑顔で大人しかったので受付横に座って看板娘になっていたそうな。

わたしも認知症になってもそんな人になりたい…

 

きっと魂は等しい

祖父のお葬式に比べ、祖母のお葬式は殆ど人が来ないと聞いて、それは少し寂しいお葬式では?とソワソワしてしまったのですが、なんてことはない。

こじんまりとしているけど祭壇画ピンクと白の可愛らしい花に溢れ、人は少なくてもものすごく温かみが感じるお葬式になっていました。

 

1番驚いたのが、棺に眠っている祖母が美人なこと!

わたしが知ってる祖母か?と思うほどで、確かにおばあちゃんなんだけどどことなく若い女性にも見えるし、美人の一言に尽きた。

読経の間、「祖母が成仏できないというなら他の誰も成仏できない」と本気で思いました。それくらい穏やかで美しかった。

祖父のお葬式でめちゃくちゃ泣いたんですが、祖母のお葬式では泣かなくて、寂しくないとか悲しくないとかではなく、祖母は絶対幸せになったんだと安心しまいた。

遺体を見てこんな風に思うことってあるんですね。

 

祖父も祖母も送り方は異なったけど、そこに優劣はなく、魂は誰も等しいのだと感じるお葬式でした。

 

それにしても人って亡くなってからは瞬く間に形がなくなってしまいますね。

人の形がなくなって、少しだけ遺骨を壺で持ち帰って、その壺もいずれは納骨してしまう。手元に残るものってほとんどなくて、記憶とか記録が残る。

魂は等しく、いい意味でも悪い意味でも死んだらそれで終わり。

そう思うと少しだけ生きるのが軽くなる気がします。