お盆前半戦、ひたすらインプットしてたのだが、どの作品にも嫌なやつや、分からず屋が出てきて、思うところがあった。
- 読んだ本
- 観た映画
- リメンバー・ミー
- 塔の上のラプンツェル
- ズートピア
特に、「寂しい夜にはペンを持て」と「オーラの発表会」はどちらも学生でイジメの描写がある。
私は中学生の時にクラスが学級崩壊してて、クラスの半分がもう半分をいじめてるみたいな、マジでリトルナイトメアみたいな世界だったので、とにかくイジメの描写を見るとつらくなる。
大人になって良かったことは、自分でお金を稼いで、自分が望むコミュニティへ行けることだ。
教室は修学期間はそこに行かねばならず、中断には相当な勇気がいる。狭いクラスに毎日、同じ人間が顔を合わせるのでそりゃ仲も拗れることだってあるだろと思うのだが、そうなった後も卒業まではどこにも行けず、耐えるしかないのは厄介なシステムだと思う。
あと「ズートピア」も子供の頃にイジメられる描写があるし、大人になっても偏見を押し付けられたりしている。
「塔の上のラプンツェル」では、ゴーテルがラプンツェルを可愛がる振りをして、陰湿にいびり、騙し、精神的虐待をする。
さらに厄介なのが「リメンバー・ミー」で、これも嫌な奴が出てくるのだが、その嫌なやつ以上にタチが悪いのが身内である。
身内は、心配のあまり子供を否定する描写があり、所謂、分からず屋だ。
正直、身内が厄介なのが一番きちぃ〜となる。主人公はミュージシャンになることを夢見るが、家族には言えず、家業である靴職人になることを言い渡される。
靴職人になりたくないが故に「でも上手くできるかわからないし」と漏らす主人公に、父親は「大丈夫!みんなでお前を(靴職人の道へ)導く!」というシーンがあり、物凄く恐ろしかった。望んでない道に全力サポートされるのもはやホラーだろ…
しかし、全ての作品を読んで、観て、思った。物語だからってのはあるとしても、ここまで嫌な奴が当たり前の様に登場するのは、嫌な奴がいる(嫌なことがある)人生というのは珍しくないのだ。
全然イレギュラーじゃないし、特別運が悪いわけじゃない。誰にでも起こる。雨が降るのと同じ。
当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど、なんかすごい腑に落ちた。
で、どの作品も嫌な奴と一回は対峙するんだけど、いつまでも引きずらない。心の傷にはなるんだけど、相手を許すというか、いつまでも憎まない。憎んでる暇があったら、各勝手に幸せになる。
私にないのこれだ〜!って思ったよね。私はいつまでも根に持つし、必要以上に心配するし、何かにつけて思い出す。
死ぬまでに習得すべきスキルはまだまだ沢山あるのだが、多分この「許す」というスキルが私は低いと思われる。
これは別に相手が謝ったので「許してやろう」とかそんな上からなもんじゃなく、自分の中で解決出来てない事柄に対して、「そのこと考えなくていいんだよ、もう気に留めなくていいんだよ、許そ」みたいなやつである。セルフコンパッション的な。
まさか、インプットした結果のアウトプットの形がこうなるとは思わなかった。読書も映画も楽しいね。
他人との違いはあれど、良し悪しは無いし、嫌な奴なんてたまたま近くにいた考えの合わない人間なんだから、さっさと忘れてみんな勝手にそれぞれ幸せになろうな。